筋ジスまっとんの日常

筋ジストロフィーであるまっとんのパートナーあずによるブログ。

芸術がよく分からない私が思うこと

どうも、あずです。

 
 
今日は動画の報告を。
 
 
まっとんは普段から一応(笑)絵も描いております。
 
【前回絵を描いた時の様子】
 
前回は短時間で描いていましたが、今回はペン先が細くなったのもあって30分くらいかけて描いていたような…時計を見ていなかったので実際の時間は不明です。
 
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撮った動画見ながら『手綺麗だよね…』って自画自賛するあたり、流石だなと思いました。絵はそっちのけなのか。
 
私は絵を描けないのでまっとんの様子からしか分からないのですが、まあまあ集中力を使うみたいで書き終えた後のため息のつき方が毎回結構すごいです。
 
 

障がい者アート』について

 
こういう言い方が正しいのかは分かりませんが、まっとんの絵だけを切り取って見てしまえば障がいの有無なんてそこまで分からないんですよね。だからこそ、いかにも独特の色使いや特徴のある作品が『障がい者アート』として成り立ってるのかが私は理解できません。
 
芸術の分野に全く触れて来なかった私からすれば、絵は自分の物差しで見たときの上手下手でしかないのです。または自分の中にビビッとくるものがあるかどうか、みたいな。
 
そういう意味では所謂『障がい者アート』で扱われる作品は上手とはなんか違うし、だからといって独特の世界観過ぎてそれが良いとされる理由が全く分かりません。どれも似たような作品が取り扱われているような気がするのです。決してそういう絵がダメという訳ではありませんが。
 
ここではまっとんの絵しか取り上げていませんが、知っている人の中には本当にびっくりするくらい上手な絵を描く方もいます。まっとんと同じように車いすに乗っていたり、障がいによってほとんど自由に身体が動かせないような人が描いたと想像しにくい絵を描く方もいらっしゃいます。いつか、本人の許可が出たら載せたいくらい。
 
多分ですが、そうした方にスポットが当たらないのは『障がい者らしくないから』だけなんだと思います。その絵だけを見てしまえば障がいがない人と全く変わらないクオリティなのに、それをパフォーマンスする側の人間の都合で振り分けているのはとても残念なことだと思います。
 
わざわざ障がいがあるないと区別しなくても良いものは良いし、そうでないものは淘汰されていくものだと思います。『障がい者アート』という表現にこだわり続けていれば、おそらく差別みたいなものは一向になくならない気がします。
 
まあ結局のところ『障がい者アート』に限ったことではないんですけどね。障がいを持った人と関わる側の人間が意志と行動が伴ってないとか、それらをうまく利用して金儲けに走る様子を見ると、こうした考えがある限りいつまでも変わらないのだろうと心底悲しい気持ちになります。
 
だからこうやって憂さ晴らしにブログに書くわけですけどね。笑
 
 
 
もっと、必要なところに必要なものが行き渡るような仕組みができればいいのにと思うのでした。
 
 
 
長くなってしまいましたので、今日はこの辺で。
 
 
 
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